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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)4570号 判決 1955年6月15日

原告 林淳郷

被告 河瀬秀太郎 外一名

主文

被告河瀬秀太郎は原告に対し金二十三万五千八百四十一円を支払うべし。

原告の被告河瀬秀太郎に対するその余の請求および被告協同産業食品株式会社に対する請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は五分し、その二を被告河瀬秀太郎の、その余を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告において金五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「原告に対し、被告等は(一)東京都中央区銀座西五丁目五番地八に存する家屋番号銀座西五丁目五十九番、鉄筋コンクリート造四階建店舗一棟、建坪一階二十五坪二合九勺その他百九坪八勺のうち(イ)地階全部二十六坪七合五勺、(ロ)一階北側の一室約十一坪(別紙<省略>第一図面中赤斜線を施した部分)および(ハ)四階南側の一室約十一坪中約四坪(別紙<省略>第二図面中赤斜線を施した部分)を明け渡し、かつ、(ニ)連帯して(イ)金十八万四千五百二十三円および昭和二十八年四月十八日から右明渡ずみまで一箇月金二万八千百円の金員ならびに(ロ)金十四万千四百四十一円および昭和二十九年十月一日から右明渡ずみまで一箇月金一万七百七十八円の金員を支払うべし。訴訟費用は被告等の連帯負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告は、請求の趣旨第一項に掲げる建物(以下本件建物という。)を所有するものである。

二、原告は、昭和二十三年四月一日本件建物のうち(イ)地階南側の一室約十四坪を賃料一箇月金一万五千三百円で、(ロ)地階北側の一室約十三坪および一階北側の一室約十一坪(別紙第一図面中赤斜線を施した部分)を賃料一箇月金一万八百円で、ついで同年十一月十六日本件建物のうち四階南側の一室約十一坪中約四坪(別紙第二図面中赤斜線を施した部分)を賃料一箇月金二千円で、賃料はいずれも毎月末日払の定をもつて被告河瀬秀太郎に賃貸したところ、その後地階の南北の両室はその間の隔壁を撤去して現在一室となつている。

三、被告河瀬秀太郎は原告から賃借した前記各室(以下本件室と総称する。)の使用に伴つて水道および電力を消費しているのであるが、被告河瀬秀太郎その他本件建物内の借室人が消費する水道および電力は、本件建物の所有者たる原告が一括して供給を受け、その料金は原告がその名において供給者に支払をなし、原告と借室人との内部関係において毎月各消費者の分担金額を定め、原告において各消費者からこれを徴収しているのである。被告河瀬秀太郎の分担金額は、水道料金については地階および一階の各々について一箇月分金九百五十円合計金千九百円とし、電力料金については本件建物における一箇月分の全消費量を各室使用者それぞれの消費量に按分して各自の料金額を月毎に算定することに、原告と被告河瀬秀太郎との間の本件室についての賃貸借契約において約定されたのである。

四、ところが被告河瀬秀太郎は、原告に対し昭和二十七年十月一日から昭和二十八年三月末日に至るまでの間における本件室についての賃料合計金十六万八千六百円(一箇月につき金二万八千百円)ならびに原告が立て替えて支払つた昭和二十七年六月分から昭和二十八年三月分までの水道および電力料金合計金十三万三千百二十円四十銭、以上合計金三十万千七百二十円四十銭の支払をしないので、原告は被告河瀬秀太郎に対して昭和二十八年四月十一日附書留内容証明郵便をもつて、該書面到達後三日以内に前記賃料および立替金の支払をなすべき旨催告し、右は同月十三日被告河瀬秀太郎に到達したが、被告河瀬秀太郎はその履行をしなかつたので、原告は同年同月十七日附書留内容証明郵便をもつて被告河瀬秀太郎に対して右債務不履行を理由に本件室についての賃貸借契約を解除する旨の意思表示を発し、同日被告河瀬秀太郎に到達したので、ここに右賃貸借契約は解除されるに至つたのである。

六、のみならず被告河瀬秀太郎は、原告から賃借した本件室を遅くとも昭和二十七年六月一日以前から被告協同産業食品株式会社(以下被告会社という。)に原告の承諾を得ることなく転貸し、爾来被告等は共同で本件室を占有し、かつ、水道および電力を消費しているのである。そこで原告は昭和二十八年六月十三日被告河瀬秀太郎に送達された本件訴状により、右無断転貸を理由に本件室についての賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたので、これによつても右賃貸借契約は同日限り解除されるに至つたのである。

七、叙上のような事実関係であるから、被告河瀬秀太郎は昭和二十八年四月十八日(前記五で述べた賃貸借契約解除の翌日)または遅くとも昭和二十八年六月十四日(前記六で述べた賃貸借契約解除の翌日)から、被告会社は遅くとも昭和二十七年六月一日から、いずれも原告に対抗し得べき正当の権原に基くことなく本件室を占有することによつて、本件建物の所有者である原告に対しその相当賃料額にあたる一箇月金二万八千百円の損害を蒙らせつつあるので、原告は本件建物の所有権に基いて被告等に対しその占有中にかかる本件室の明渡および上記不法占有開始後右明渡ずみに至るまでの間における前示金額による損害の賠償を請求する(但し被告会社に対しては昭和二十七年十月一日以降の損害の賠償のみを請求する。)ほか、被告河瀬秀太郎に対して昭和二十七年十月一日から前記いずれかの賃貸借契約解除当日に至るまでの間における本件室についての一箇月金二万八千百円の約定賃料の支払を、被告等に対して昭和二十七年六月分から本件室明渡ずみに至るまでの間における共同で消費しまたは消費すべき水道および電力料金(昭和二十七年六月分から昭和二十九年九月分までの分としては合計金三十二万七千百二十九円のところ、被告河瀬秀太郎において内金十八万五千六百八十八円を支払つたので、その残金十四万千四百四十一円を、昭和二十九年十月分以後のものとしては水道料金については前記三で述べた一箇月金千九百円、電力料金については過去一年分の平均月額による一箇月金八千八百七十八円、以上合計一箇月あたり金一万七百七十八円の金額により、被告河瀬秀太郎に対する賃貸借契約解除に至るまでの分については立替金として、その以後の分および被告会社に対するものについては不当利得として)の支払を請求するものである。

と述べ、

被告等の主張に対し、「本件室中地階および一階の各室の賃料が原告と被告河瀬秀太郎との間において表面上被告等の主張するごとく一箇月金三百円および金八百円と定められ、そのほかに被告河瀬秀太郎が原告の父訴外林勝二に対し被告等の主張するとおり利益配当金名義で一箇月合計金二万五千円を支払う旨約定していたことは事実であるが、それは左記のような事情によるものである。原告が被告河瀬秀太郎に本件室を賃貸した昭和二十三年四月当時においては、その賃料額が地代家賃統制令により規制されていたため、名目上の賃料額を上述のとおりに定めるとともに、実質上約定賃料額のうちに含まれるべき金二万五千円を被告等の主張するごとく利益配当金名義をもつて授受することに約定したのであつて、右利益配当金に関する契約は形式の上では被告河瀬秀太郎と訴外林勝二との間に締結されたようになつているが、訴外林勝二は被告河瀬秀太郎との賃貸借契約締結について原告を代理したものであつて、右利益配当金に関する契約についても原告の代理人としてその締結の衝に当つたのである。叙上のことは原告はもちろん原告の父訴外林勝二のいずれも被告河瀬秀太郎が本件建物の地階及び一階において経営する特殊飲食店営業に全然関与することがなかつた点からいつても毫も疑の余地のないところであり、要は地代家賃統制令の適用を免れんがためにしたに過ぎないものである。ところが本件室の賃料については昭和二十五年七月十一日以降前記統制令の改正により統制が解かれることとなつたので、本件室についての爾後の賃料額は名実ともに前記利益配当金名義のものをも含めた額とすることに当事者間において取り極めたのである。その他の被告等の主張はすべて争う。」と述べた。<立証省略>

被告等訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、

一、原告主張事実中、(イ)本件建物が原告の所有であること、(ロ)被告河瀬秀太郎が原告主張の日時原告から本件建物のうち本件室を賃借したこと、(ハ)その賃料が四階の室に関する限り原告主張のとおりであり(その余の各室の賃料額については後述する。)、賃料の支払期日がいずれも毎月末日の定であること、(ニ)地階の南北の両室が現在一室になつていること、(ホ)被告河瀬秀太郎が本件室の使用に伴つて水道および電力を消費していること、(ヘ)被告河瀬秀太郎が昭和二十七年十月一日から本件室についての賃料および同被告の負担すべき水道および電力料金(以上いずれも金額の点を除く。)を支払わなかつたため、原告からその主張のごとき催告を受け、被告河瀬秀太郎においてその催告に応じなかつた結果原告からその主張のように賃貸借契約解除の意思表示を受けたこと、(ト)被告等が現に本件室を占有していることはいずれも認めるが、その余は争う。

二、(イ) 本件室についての約定賃料は一箇月合計金三千百円である。すなわち地階南側の一室については金三百円、地階北側の一室および一階北側の一室については金八百円であり、四階南側の一室(一部分)については原告の主張するとおり金二千円の定である。もつとも被告河瀬秀太郎は原告の代理人たる訴外林勝二(原告の実父)と本件室につき賃貸借契約を締結するに際し、上述の賃料のほかに訴外林勝二に毎月金二万五千円を支払うことを約定したことがあり、この金額と前記賃料額とを合計すると、原告が本件室の一箇月分の賃料額として主張する金二万八千百円と一致するのであるが、前示金二万五千円は、被告河瀬秀太郎が原告より賃借した地階および一階の各室において訴外林勝二と共同で特殊飲食店営業を経営するについて同訴外人に対する利益配当金として、金一万五千円を地階南側の一室の分に、金一万円を地階北側の一室および一階北側の一室の分に割り振つて支払う旨契約したものであつて、本件室の賃料とはその性質を異にし、かつ、両者の間には何等の関係もないのである。

(ロ) ところで原告が河瀬秀太郎に対して本件室についての賃貸借契約の解除の前提として催告した昭和二十七年十月一日から昭和二十八年三月末日までの賃料額は前示利益配当金をも含めて計算したものであり、かつ、これと同時に催告のあつた昭和二十七年六月分から昭和二十八年三月分までの水道および電力料金に関する立替金も原告の一方的計算による著しく不当な金額のものである。かような過大な債務の履行を請求した原告の催告は無効であり、従つてかかる催告を前提とする賃貸借契約解除の意思表示はその効力を生ずるに由ないものである。

(ハ) 仮に原告の催告にかかる金額について過当な点がなかつたとしても、原告は合計金三十万千七百二十円四十銭にも達する相当多額の金員について催告期間を僅か三日間と定めたものであつて、かような期間の定は短かきに失し、かかる催告は到底これを適法視することを得ないのであつて、このように不相当な催告を前提とする賃貸借契約解除の意思表示は無効であるといわなければならない。

(ニ) 仮に右催告期間の定が相当であるとされるものとしても、原告の賃貸借契約解除は信義誠実の原則に反し、かつ、権利の濫用にわたるものである。すなわち、被告河瀬秀太郎は原告から地階および一階の各室を賃借するに当り、前賃借人に対する賃借権譲受代金、原告に対する賃借権譲受承諾料その他として合計金百七十七万円を支払つたほか、被告河瀬秀太郎が本件室を賃借した昭和二十三年四月当時においては、本件建物は今次戦争の影響を受けて相当に荒れ果てており、到る処に亀裂があつて浸水も甚しく利用価値の極めて乏しいものであつたのを、被告河瀬秀太郎においてその修理等のために約百五十万円を支出したばかりでなく、被告会社(被告会社と被告河瀬秀太郎との関係は後述する。)においても約百万円の修理費を投下して、本件建物を現状のように修復したのである。かくして被告河瀬秀太郎は、本件室を賃借以来多額の負債に悩みながらも原告の父訴外林勝二との共同経営にかかる特殊飲食店の営業に全力を傾注し、銀座街の復興繁栄のために努力を尽して来た結果、現在においては右飲食店の営業権だけでも優に金一千万円と評価されるに至つているのである。ところで被告河瀬秀太郎が昭和二十七年十月分以降の賃料を延滞するようになつたのは、当時同業者の競争が漸く激化し、被告河瀬秀太郎のような小資本による経営者は深刻な資金難に陥ることになつた結果によるのであつて、それまでは被告河瀬秀太郎は本件室を賃借以来四年六月の間原告に対する約定賃料はもちろん訴外林勝二に対する利益配当金を少しも滞りなく支払つて来たのである。しかも原告は被告河瀬秀太郎に賃料等の催告のために発した書面において、善後処置について面談折衝の余地があるような趣旨のことを記載し、かつ、被告河瀬秀太郎が百方奔走して辛うじて調達し得た金十万円を右催告期間を約十日過ぎて原告に提供したところこれを心好く受領したにかかわらず、その後俄かに態度を飜して賃貸借契約解除の挙に出で、右金十万円は電力料金等の立替金の弁済として受け取つたもので、これが支払は被告河瀬秀太郎の賃料債務不履行による賃貸借契約の解除に何等の消長をももたらすものではないと強弁するに至つたのである。叙上のような事情から観るときは、原告の被告河瀬秀太郎に対する賃貸借契約の解除は到底許されないものというべきである。

三、被告会社が本件室を占有するに至つたのは、左記のような事情に基くのである。被告会社の代表者村石治良はもと被告河瀬秀太郎が支配人として使用していた者であつた関係もあつて、被告河瀬秀太郎は本件建物の地階および一階における特殊飲食店営業の経営を被告会社に委任したに過ぎず、被告会社に本件室を転貸した関係にあるものではなく、被告会社は被告河瀬秀太郎の賃借権に基いて事実上本件室を占有しているに止まるのである。

四、叙上これを要するに被告河瀬秀太郎は本件室を原告から現在まで引き続いて賃借し、被告会社は被告河瀬秀太郎から、その営業の経営を委任されて本件室を被告河瀬秀太郎の賃借権の範囲内において使用しているものであるから、原告の本訴請求中被告河瀬秀太郎の延滞にかかる賃料ならびに水道および電力料金の支払を求める部分(その請求額は過大であるが)はともかくそれ以外はすべて失当である。

と述べた。<立証省略>

理由

一、本件建物が原告の所有に属することおよび被告等が本件建物のうち本件室(地階の南北の各室はその間の隔壁が撤去されて現在一室となつている。)を占有していることは、当事者間に争いがない。

二、そこで被告等が右占有について正当の権原を有するかどうかについて考える。

(一)  被告河瀬秀太郎が原告から(イ)昭和二十三年四月一日本件室のうち、地階南側の一室および同北側の一室(現在この両室は一室となつていること上述のとおりであるが、当時は別箇のものであつた。)ならびに一階北側の一室を、毎月末日賃料(その額はしばらく措く。)の支払をする約定で期間の定なく賃借し、(ロ)ついで同年十一月十六日本件室のうち四階南側の一室の一部分を賃料一箇月金二千円毎月末日払の定で賃借したこと、被告河瀬秀太郎が右賃借にかかる室を使用収益するに伴つて水道および電力を消費していること、被告河瀬秀太郎が昭和二十七年十月一日から昭和二十八年三月末日までの間における本件室についての賃料(その金額はしばらく別とする。)ならびにその消費にかかる昭和二十七年六月分ないし昭和二十八年三月分の水道および電力料金として原告が立替払(この関係については後述する。)した金員(その額もしばらく別とする。)を原告に支払わなかつたこと、原告が昭和二十八年四月十一日附の書留内容証明郵便をもつて被告河瀬秀太郎に発した前掲期間内における延滞賃料ならびに水道および電力料金の立替金合計金三十万千七百二十円四十銭(前者について一箇月金二万八千百円の割合により金十六万八千六百円、後者について金十三万三千百二十円四十銭)を書面到達後三日以内に支払うべきものとする催告が同月十三日被告河瀬秀太郎に到達したこと。被告河瀬秀太郎が右催告期間内に支払をしなかつたため原告において同月十七日附の書留内容証明郵便をもつて被告河瀬秀太郎に発した同被告の前記債務不履行を理由に本件室についての賃貸借契約を解除する旨の意思表示が被告河瀬秀太郎に同日到達したことは、いずれも当事者間に争いがなく、被告河瀬秀太郎をはじめ本件建物内の借室人がその借室の使用収益に伴つて消費する水道および電力については、本件建物の所有者たる原告が一括して供給を受け、その料金は原告がその名において供給者に支払をなし、原告と借室人との内部関係においては毎月各消費者の分担金額を定め、原告において各消費者からこれを徴収する約定であつたことは、証人林勝二(第一、二回)および宮川正治の各証言により認めることができ、この認定を動かす証拠はない。

(二)  被告河瀬秀太郎が原告から賃借した各室(但し四階の分を除く。)の賃料の額が、賃貸借契約それ自体においては地階南側の一室の分について一箇月金三百円、地階北側の一室および一階北側の一室の分について一箇月金八百円と定められていること。被告河瀬秀太郎が右賃貸借契約の締結と同時に原告の父訴外林勝二と締結した別個の契約により、被告河瀬秀太郎において前記賃借にかかる地階および一階の各室で訴外林勝二と共同して特殊飲食店営業を経営するものとし、毎月その利益の配当金として地階の分について金一万五千円、一階の分について金一万円、以上合計金二万五千円を訴外林勝二に支払う旨約定したことは、当事者間に争いがない。

(三)  原告は、前示利益配当金の支払に関する契約は原告の父訴外林勝二が原告の代理人として被告河瀬秀太郎とこれを締結したものであり、しかも約定の金二万五千円は、当時被告河瀬秀太郎の前記借室の賃料が地代家賃統制令により統制されていたためこれを免れるため上述のごとき名目上の賃料のほかに利益配当金名義で実質上賃料の一部に該当する金員を授受することを契約したのであるが、その後昭和二十五年七月十一日前記統制令の改正により叙上賃料に関する統制が解除されたのに伴い、当事者間の合意により上掲地階および一階の各室の賃料額を爾後名実ともに従来前示利益配当金名義の下に授受されて来た金額をも含めたものとすることにしたものであると主張し、証人林勝二の証言(第一、二回)中には原告の右主張に副う趣旨のものがあるがたやすく措信することができず、また証人宮川正治の証言中被告河瀬秀太郎において本件室の賃料として一箇月合計金二万八千百円の支払をしていた旨述べている部分も措信するに足りず、他に原告の上掲主張事実を認め得る証拠はない。かえつて証人林勝二の証言(第一、二回。但し上掲措信しない部分を除く。)および被告河瀬秀太郎本人尋問の結果に前記(二)に掲げる当事者間に争いのない事実を総合して考えるときは、被告河瀬秀太郎が原告から賃借した本件建物の地階南側の一室は訴外牛山政成が、地階北側の一室および一階北側の一室は訴外江口武男がかねて原告から賃借していたものであつたが、訴外江口武男は当時すでに右借室を原告に明け渡すことになつており、同人の明渡後は原告の父訴外林勝二が自らの用途に使用すべく予定していたところ、被告河瀬秀太郎において訴外林勝二に訴外江口武男の借室を是非賃貸してほしいと懇請し、合わせて訴外牛山政成の借室についても賃借権の譲渡を受けられるように斡旋の労をとられたいと要望するところがあつたので、訴外林勝二は訴外江口武男の借室を使用して経営しようと計画していた事業を断念して右借室を被告河瀬秀太郎に使用収益せしめることにするとともに、訴外牛山政成の借室についても同人と折衝の上賃借権を被告河瀬秀太郎に譲渡させ、かくして被告河瀬秀太郎と原告との間に右各室の賃貸借契約が締結されるに至つたこと、被告河瀬秀太郎は訴外林勝二の叙上のごとき好意ないしは尽力に報いるため、右賃借にかかる室において同被告の経営すべき特殊飲食店営業を訴外林勝二との共同経営名義とし、その利益配当金の名目の下に毎月金一万五千円を地階南側の一室の分として、金一万円を地階北側および一階北側の一室の分として訴外林勝二に支払う旨を同人に約したことが認められる。もつとも土地または建物の賃料について地代家賃統制令の適用を免れる目的で種々の名義を用いて実質上賃料の一部に当る金員を授受することが世上頻繁に行われていることは蔽い難い事実であるが、前述の被告河瀬秀太郎から訴外林勝二に対する利益配当の支払が叙上のごとき地代家賃統制令の脱法行為としてなされたものと解し得ないことは、それに関する契約が前記認定のような事情に基いて成立したことからして既に明白であるというべきであるのみならず、証人林勝二がその証言(第一回)において、右利益配当金は当初においては実質上も賃料の一部たる性質を有するものでなかつたが、昭和二十五年六月頃これを従前の賃料額に加算したものを爾後約定賃料額とすることに当事者間において契約したとの趣旨のことを述べている(右証言の後半の部分はもとより措信し得ないのであるが)ところから観てもその間の事情を窺い知ることができるのである。

(四)  してみると原告と被告河瀬秀太郎との間の本件室についての賃貸借契約に基いて被告河瀬秀太郎が原告に毎月支払うべき賃料額は、地階南側の一室について金三百円、地階北側の一室および一階北側の一室について金八百円、四階南側の一室(一部分)について金二千円、以上三口合計金三千百円であるというべきである。ところで原告が被告河瀬秀太郎に対し本件室の賃貸借契約の解除の前提として履行の催告をした債務は、既述のとおり昭和二十七年十月一日から昭和二十八年三月末日まで一箇月金二万八千百円の賃料合計金十六万八千六百円と昭和二十七年六月分ないし昭和二十八年三月分までの水道および電力料金の立替金合計金十三万三千百二十円四十銭とである。これを賃料について観るに前記認定にかかる一箇月の約定賃料額の実に九倍強に当る金額を計算の基礎としたものである。このように真実の債務額に比して甚しく過大な金額についてした催告は到底有効なものとは解し得られないのであつて、従つて被告河瀬秀太郎がこの催告に応じなかつたことを理由に原告において同被告との間の本件室についての賃貸借契約を解除し得ないことは当然である。さらに原告の催告にかかる水道および電力料金の立替金債権は原告と被告河瀬秀太郎との間の賃貸借契約における附随的なものに過ぎないものと解すべきであるから、被告河瀬秀太郎においてこのような附随的債務の履行を怠つたとしても、特別の約定の存したことを認め得ない本件にあつては、これを理由に原告は右賃貸借契約を解除することは許されないものというべきである。さすれば原告が被告河瀬秀太郎の債務不履行を理由としてした賃貸借契約解除の意思表示はその効力を生ずるに由ないものと断ずべきである。

(五)  原告は、さらに、原告と被告河瀬秀太郎との間の賃貸借契約は、被告河瀬秀太郎がその借室を原告に無断で被告会社に転貸したことにより解除された旨主張し、被告会社が現に本件室を占有していることは被告等においても争わないところである。しかしながら被告河瀬秀太郎および被告会社代表者村石治良各本人尋問の結果によると、被告会社は被告河瀬秀太郎が本件室を使用して個人で経営していた特殊飲食店営業を法人組織により経営する方が税金の負担に軽減を来たすこと等にかんがみて設立されたものであり、被告河瀬秀太郎はその代表取締役に就任することはなかつたが、被告会社の設立後においても経営の実権は依然として被告河瀬秀太郎が掌握し、経済的には同被告の個人経営時代と何等の変りがないことが認められ、この認定を左右する証拠はない、叙上のように建物の賃借建物において経営していた個人企業を会社企業に転換した場合においては、たとえ右転換の前後を通じて経営の実態には本質的な変動を招来することがなかつたとしても、いやしくも会社が設立された以上は会社はその構成員とは別個独立の人格を有することは論のないところであるから、会社がその構成員の賃借物件を自ら使用収益する関係は単に構成員の有する賃借権の範囲内における事実上の使用収益に止まるものではなく、その転借または賃借権の譲受のいずれかに該当する(もちろん具体的な事案に則して決定すべきものである。)ものと解するのが相当である。しかしながら、元来民法第六百十二条が、賃借人は賃貸人の承諾がなければその権利を譲渡しまたは賃借物を転貸することを得ないものとし、賃借人がもしこれに違反して第三者に賃借物の使用または収益をさせたときは、賃貸人において契約の解除をすることができるものと規定したのは、賃貸借契約が当事者間の個人的信頼を基礎とする継続的法律関係であることにかんがみ、賃貸人の承諾を得ない賃借権の譲渡または転貸は通常の場合賃借人の賃貸人に対する背信行為と目せられるものと考えたことによるものと解すべきものであるから、たとえ賃借人が無断で賃借権を譲渡しまたは転貸した場合においても、かかる行為が契約当事者間の信頼関係を破るものとは認め得られないような特別の事情の存する限りは、賃貸人は前示法条により契約の解除をなし得ないものというべきである。本件についてこれを観るに、被告会社が被告河瀬秀太郎の賃借中の本件室を使用収益するに至つた経緯は前示認定のとおりであるから、被告会社において本件室を使用収益することが、原告の主張するとおり被告河瀬秀太郎からこれを転借したことによるものであるとしても、これにより本件室の使用状況等に格段の変更があつたものとは認め難く、その他被告河瀬秀太郎が本件室を被告会社に使用収益させたことをもつて原告に対する信頼関係を覆したものと認めるべき事情の存することも看取することはできないのである。してみれば原告が被告河瀬秀太郎においてその借室を被告会社に転貸したことを理由に本件訴状によつてした解除の意思表示もまた原告と被告河瀬秀太郎との間の賃貸借契約を終了せしめるに足りないものと断ずべきである。

(六)  そして叙上のごとく賃貸人において賃借人の転貸を理由に契約を解除することが許されない場合においては、当該転借人は、その転貸借契約に賃貸人の承諾がない場合においても、転借権をもつて賃貸人に対抗し得べきものであつて、従つて転借人の目的物に対する占有は適法なものと解するのが正当である。すなわち、転貸借契約について賃貸人の承諾があつたときには、転借人は賃貸人に対する関係においても適法にその転借物を占有し得るのであるが、この場合と転貸借契約に賃貸人の承諾は与えられていないが、これを理由に賃貸人において賃借人に対して契約の解除をなし得ないものとされる事態の下において転借人が転借物を占有する場合とについて、転借人の賃貸人に対する目的物の占有権原の有無に関して両者を彼比別異に取り扱わなければならない合理的な根拠は到底これを見出し難いのである。換言すれば、転貸借契約に関する賃貸人の承諾は、本来当事者間においては有効なるべき転貸借契約をもつて賃貸人にも対抗することを得せしめ、賃借人の転貸を適法ならしめるものなのである。逆にいえば転貸借契約の違法性を阻却する事由の一例に過ぎないものというべく、そうだとすれば右承諾以外の違法性阻却事由の存在が転貸借契約について認められる場合もまた転借人の賃貸人に対する関係における目的物の占有権原については、転貸借契約に賃貸人の承諾があつた場合と同様に処理するに何等の支障もないものと解するのが相当である。

(七)  さすれば被告等はいずれも原告に対抗し得べき正当の権原に基いて本件室を占有しているものというべく、原告の本訴請求中被告等の本件室に対する占有が不法であるとしてこれが明渡および不法占有を前提とする賃料相当の損害の賠償を求める部分は既にこの点において理由がないものとすべきである。

三、被告河瀬秀太郎が本件室についての昭和二十七年十月一日以降の賃料(金額の点を除く。)を原告に支払つていないことは、前段においても説明するところがあつたとおり当事者間に争いがなく、本件室についての一箇月分の賃料が地階南側の一室につき金三百円、地階北側の一室および一階北側の一室につき金八百円、四階南側の一室(一部分)につき金二千円、以上三口合計金三千百円の定であることは、既に前段において判示したところである。さすれば被告河瀬秀太郎は原告に対し、昭和二十七年十月一日以後における右金額による賃料を支払わなければならないものである。ただ原告が本訴において被告河瀬秀太郎に対して賃料として支払を請求しているのは右日時以降原告と被告河瀬秀太郎との間の本件室についての賃貸借契約解除の当日(賃料債務等の不履行を理由とする場合については昭和二十八年四月十七日、無断転貸を理由とする場合については同年六月十三日)までのものであり、それ以後の分は不法占有による損害の賠償金として請求しているところ、後者の請求が失当であることは既に前段において詳述したとおりである。しかしながら原告は、右損害賠償請求が理由がないとされる場合には、これを賃料請求として維持するものと認めるのが相当である。従つて上述の一箇月金三千百円の割合により被告河瀬秀太郎に支払を命ずべき賃料は昭和二十七年十月分から本件口頭弁論終結(昭和三十年一月三十一日)当時までに弁済期の到来した昭和三十年一月分まで二十八箇月分の金八万六千八百円となるべきである。

四、(一) 被告河瀬秀太郎が本件室を原告から賃借して使用収益するのに伴つて、本件建物の所有者たる原告が一括して供給を受け、かつ、原告がその名において供給者にその使用料金の支払をなしている水道および電力を消費していること、被告河瀬秀太郎は原告が右のごとくにして支払つた水道および電力料金のうち同被告の消費量に応ずる分担金額を原告に支払う約定であつたことおよび被告河瀬秀太郎が昭和二十七年六月分以降における水道および電力料金の分担金(金額の点を除く。)を原告に支払つていないことは、前述したとおりである。証人林勝二の第一回の証言により成立の真正を認め得る甲第四号証および同証人の第二回の証言により成立の真正を認め得る甲第十三号証に右各証言および証人宮川正治の証言ならびに被告会社代表者村石治良本人尋問の結果を総合するときは、被告河瀬秀太郎が分担すべき水道料金は地階および一階の各々について一箇月金九百五十円合計金千九百円の定額として、電力料金は原告が配電会社の設備した検針器以外に本件建物の各室に自ら別個の検針器を設置し、毎月末配電会社設備の検針器の表示する本件建物における電力の全消費量と各室設置の検針器の表示する各室毎の電力の消費量と比較し、配電会社が料金の算出に適用する基準に準じて基本料金、超過料金および特別料金等に別けて各室の賃借人の分担すべき料金を算定して各室の賃借人にその計算書を示して原告においてこれを徴収することに定めてあつたこと、被告河瀬秀太郎はこの方法により原告から請求された水道および電力料金の分担金を昭和二十七年五月分までは異議なく原告に支払つて来たこと、上述の方法により算出した昭和二十七年六月分以降昭和二十九年九月分までの間における被告河瀬秀太郎の分担すべき水道および電力料金として原告の計算にかかる金額は合計金三十二万七千百二十九円四十銭であることが認められる。被告河瀬秀太郎は、原告の算定にかかる被告河瀬秀太郎の右分担金額は原告の一方的計算によるもので過大であると主張するが、この主張を支持するに足りる何等の証拠もないので、被告河瀬秀太郎は原告に対し上記認定にかかる金三十二万七千百二十九円四十銭のうち原告において被告河瀬秀太郎から支払を受けたことを自認する金十八万五千六百八十八円を控除した残金十四万千四百四十一円四十銭中原告の請求にかかる金十四万千四百四十一円を支払うべきものである。

(二) 原告は、さらに被告河瀬秀太郎に対して昭和二十九年十月分以降の水道料金の分担金として一箇月につき定額の金千九百円を、電力料金の分担金として過去一年分の平均月額による一箇月分金八千八百七十八円を本件室の明渡に至るまで支払うべきことを請求しているところ、水道料金については被告河瀬秀太郎の毎月の分担金額が当事者の合意により金千九百円に一定されているので、昭和二十九年十月分以降本件口頭弁論終結(昭和三十年一月三十一日)当時までに既に履行期の到来した昭和三十年一月分まで四箇月分の分担金合計金七千六百円に限り被告河瀬秀太郎の支払義務を認めるべきである(被告河瀬秀太郎が本件室を明け渡すまでの将来にわたる請求は、被告河瀬秀太郎が本件室の不法占有者として原告に対しこれが明渡義務を負担していることを前提としているものであるところ、叙上のような明渡義務の認められないことは既に判示したとおりであるから、被告河瀬秀太郎に対して水道料金の分担金の支払を命ずる限度については本文記載のごとくに解すべきである。)が、電力料金に関する被告河瀬秀太郎の分担金額は同被告の毎月における現実の消費量を基礎として算定する約定であるところ、昭和二十九年十月分以降における被告河瀬秀太郎の電力料金の分担金が右約定の計算方法により算定していくらになるかという点については何等立証されるところがないのである。原告は、過去一年の平均月額を基準としてその請求をしているのであるが、これを是認することができないことは明らかであるから、被告河瀬秀太郎に対する昭和二十九年十月分以降の電力料金の分担金についての請求はその額についての証明がないものとして失当たることを免れないものというべきである。

(三) 最後に被告会社に対して被告河瀬秀太郎と共同消費にかかる水道および電力料金の支払を求める原告の請求は、被告会社の不当利得を理由とするものであるが、原告は被告河瀬秀太郎に対してその料金を立替金として請求し得べき契約上の債権を有すること前述したとおりであるから、被告会社に対して別に原告主張のような不当利得返還請求権の成立する余地はないものというべきである。

五、叙上の次第であるので、原告の本訴請求は、被告河瀬秀太郎に対して前示三において判示した昭和二十七年十月分ないし昭和三十年一月分までの本件室についての賃料金八万六千八百円、前示四の(一)において判示した昭和二十七年六月分ないし昭和二十九年九月分の水道および電力料金の立替金の残金十四万千四百四十一円および前示四の(二)において判示した昭和二十九年十月分ないし昭和三十年一月分の水道料金の立替金七千六百円、以上合計金二十三万五千八百四十一円の支払を求める限度において正当であるからこれを認容すべきであるが、被告河瀬秀太郎に対するその余の請求および被告会社に対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条および第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲)

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